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当店では、先々代より収集していた骨董を展示する「佐渡民芸館」の店主であり、
佐渡に残る骨董を長年見てきた佐々木氏による目利きの逸品を取り揃えております。

佐渡の家々に伝世してきた品々です。
大切にお使いいただける方にご購入いただきたく思っております。



【佐渡の骨董・古美術品について】

佐渡ヶ島は724年遠流の地に指定され、以後、幾人もの文化人、政治人等が流され、王朝文化が築かれました。また1601年(慶長年間)には、相川金銀山の発見で徳川幕府の直轄地「天領」となり、徳川300年の財政を支えたことにより、江戸文化、町人文化が直接入ってきました。

1550年頃には廻船業による活動が本格的になり、佐渡金山の発見で相川はゴールドラッシュに沸き、寂しい一漁村が、一挙に人口約10万人に増え、すばらしい賑わいを見せました。

佐渡奉行所は、今の大蔵大臣の地位にあり、奉行の持ち物、茶陶等も相当の名品であったはずです。当時も、佐渡奉行を命ぜられて、その赴任に際しては、将軍家はもちろん、その親藩や閣老等へ必ず伺候するので、その際にも当時の風習により、刀剣や茶陶、美術品等を慰労のため拝領したとのことです。それにより佐渡に持ち込まれたものがあります。

佐渡へ赴任した奉行は100人にも及んだが、その内の幾人かは、佐渡で免官になっており、奉行所の役人がその所持品を売却また入質する場合は、相川の地元では顔が知れているために、ひそかに国仲(佐渡の中央地域)へ出て処分したとのことです。

急激な人口増加、ゴールドラッシュで最高景気の相川、北前船で出船入船で賑わう小木港、宿根木港、沢根港、二見港、佐渡ヶ島は、中国から北九州へ輸入されるほとんどが、北前船を利用して入ってきたかと思われるほど多量のものでした。が、佐渡島民の需要を充たすには及ばす、中国産以外の陶磁器も輸入されなければなりませんでした。

ちょうど折りもおり、有田磁器は中国磁器に劣らぬ程の染付磁器が焼成されるようになり、佐渡の物産の米、雑穀、海産物、木材、輪竹などを積み、大阪港をめざした北前船は、帰り船には、綿や塩、砂糖、備後表、もちろん伊万里焼等をいっぱいに積み込んで帰ってきました。

これらのことにより、佐渡ヶ島には陶磁器や美術品などが多く伝世しています。